首里城公園

首礼の門 首里城正殿 円鑑池


大きな産業も無く・・・ 観光立県、沖縄の目玉スポット・・・ 首里城公園!

琉球王朝の
栄華を感じる、沖縄県民の誇りでがんす! 大勢の観光客で溢れておりました。

現在、沖縄はJAPANの一つの県でありますが、複雑な歴史のうえに成立しております。


琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでいたらしいのですが、12世紀頃から、政治勢力が現れはじめます。

各地で「
按司(あじ)」と呼ばれる豪族が現れ、三山時代と言われる、内乱の時代を経て・・・

やがて尚巴志(しょうはし)が、主要な按司を統括し、初めて一権力を確立しました。


尚王家を頂点とする琉球王朝が誕生したのは、1429年となっております。


立地を生かして、東南アジア諸国との
海洋交易で栄えたのですが・・・
資源のない小さな島ですので、大国中国、薩摩の顔色を伺いながらの、微妙な外交でした。

やがて、薩摩に侵略されて、廃藩置県で沖縄県となり、約450年の琉球王朝の短い歴史を閉じました。


やがて、軍国日本の
戦乱に巻き込まれ、敗戦!

占領されたのち、JAPANに復帰されましたが・・・
現在でもアメリカ軍基地の、大某に苦しめられております。


首里城は、先の大戦での、アメリカ軍との悲惨な地上戦で、焼失してしまいましたが、
沖縄県民の悲願が実り、1992年、
再建されました。


正殿前の御庭(ウナー)を挟むように、南殿には薩摩の接待所、宿舎があり、
北殿に中国冊封使の接待所、政務の中核機関がありました。


冊封使とは、中国皇帝が交代した時、はるばる航海してきた使節団ですが
御返しに貢物を献上していたらしいく、江戸時代の
参勤交代に似ております!


当時の中国との交易量は、他国に比べて絶大であり
火薬の原材料で、中国の軍事力を、側面から担っておりました。

当時の御庭では、端正で間のきいた、琉球舞踊を眺めながら、海の幸に、泡盛!
今でいう、
接待外交が、盛んに繰り返されていたんでしょうね!


うらしま伝説の、乙姫様の竜宮城は、首里城ではないかとの説がありますが・・・
さぞ盛大な、夢のような宴会に、思いを馳せるだけでも、ロマンでがんす!



正殿には33体の
が棲んでおり、シーサーと同じく、あ・うんで並んでおります。

門柱であったり・・・柱の彫刻であったり・・・ 屋根瓦であったり・・・


龍は、中国皇帝の
象徴でがんす!
蛇と麒麟が混ざった、架空の動物ですが、迫力がありますよのう!

金玉を掴んだ、龍の手足の爪は、中国の場合は5本ですが・・・ 琉球の場合は4本だす!
中国皇帝に対する、
謙譲の意味らしいですが・・・ このへんにも、弱小、琉球王国の微妙な立場が読みとれまする。


正殿の破風は、日本の影響らしいですが、各国の影響を素直に浴びて、混ざり合う・・・
沖縄は、今も昔も、
チャンプルー文化の花が咲いているんだなあ〜


龍頭石柱 琉泉 石灰岩の厨子甕


実は、首里城正殿前の、琉球砂岩の
龍頭門柱には、特別な思い出があります!

ワシが沖縄で修行しておりました、12年前には、首里城は再建されておりませんでした。

当時、コザ市知花の、90歳を越えた老陶芸家の工房で、御手伝いをさせて頂きました経験がございます。

ハーバービューホテルで、龍をテーマにした個展をされました。
4ヶ月間ほど、毎夜3時間、さらに休日にと、龍頭製作をさせて頂きましたのですが・・・
高さ1mほどの大作でした。

資料は、戦前の首里城の門柱の、
セピアカラーの写真のコピー、4枚だけ・・・
不明なところはヤマカンでした。


現在の門柱は、そうした資料を基に、
復元されたものでしょうが・・・
若き風炎オヤジは、4ヶ月もニラメッコ・・・ 必死で戦っておりましたので、深い感慨が御座いまする!

龍は迫力が命ですが・・・ この門柱の龍は、端正で
上品な品位がありました。


風炎オヤジは、学校でデッサンの勉強など、経験ありませんでしたので・・・ ブチ、勉強になりました。

御世話になりました老陶芸家は、100才を越えて、他界されました。
大変、感謝いたしております。



首里城近くに
琉染といわれる、紅型染物店があります。

2階に、厨子甕(ジーシーガーミ)を集めた、展示資料室があり、
空襲で破壊されたり、道路工事などで壊された、沖縄独特の大きな亀甲墓の、
埋葬品が集められております。

実際に、土葬されたミイラを洗骨して、埋葬したものですので、チト、怖いのですが・・・
始めて訪れたときは、琉球文化の奥深さを感じました。


琉球石灰岩を、沖縄では
トラバーチンと呼んでおります。

店の入口には、トラバーチンのシーサーが鎮座しており、
彩色の剥がれた、トラバーチンの厨子甕も展示されておりました。

陶器以前には、石灰石の文化があり、
ギリシャ彫刻ように、繊細ではありませんが、琉球らしい味がありまする!

3階には紅型工房があり、見学できました。
紅型は高価ですが、見るのはタダ! 御茶もタダ! 超オススメの、超穴場でござんす!


玉稜 内部 (資料写真)


近くに、首里城と並んで
世界遺産に登録された、玉稜(たまうどん)があり、
1501年に築かれた、歴代の琉球国王の、納骨墓稜です。

2mほどの苔むした塀に囲まれ、外界を隔て、
インカの遺跡の様でもあり、
多少の緑と青空に覆われた空間と、石灰岩のコントラストは、今でも独特の雰囲気を醸しております。

三室に分かれ、中室では、洗骨前の遺骸の安置、東室は王と王妃、西室は限られた家族が、葬られております。
こちらも沖縄戦で大きな
被害を受けましたが、修復されました。

沖縄に感謝しております風炎オヤジは、自然と合掌いたしました!



PS 1

風炎カ〜サンの実家のオジイは、宮古島の出身でがんす!

沖縄で、宮古島といえば、島流し・・・ ドロボウや人殺しの吹き溜まり・・・ だったらしい。

宮古人は、大酒飲みで、短気らしいですが・・・ 根性がありますので、商売で大成する人も多いらしいです!
5年間、御世話になりました、琉球村の社長もそうでした。


オジイの酒と短気は、
ドロボウの血かと、勝手に想っておりましたが・・・
最近、宮古島で、
家系図が発見されたのだ!

御先祖様は、コソドロではなく、首里の上流士族だったらしいだす!
権力が肥大化したため、宮古・石垣に、政治的に分割された経緯が判明しました。

オジイは15代目の血縁・・・ そう言われれば、何処か上品な品位を感じまする!

風炎オヤジの御先祖様は・・・ にじみでる、貧乏のかほり・・・

う〜ん! 知らぬが仏だす!



PS 2

琉球王国は、日本に吸収され・・・ 現在でも、アメリカ軍の横暴に悩まされておりますが・・・

アメリカは、インディアンへの、迫害の上に成立しており・・・
日本も、アイヌ民族を追いやり、北海道を奪った!

現在の日本外交は、アメリカの顔色を見ながら、
微妙な立場でがんす!


JAPANが
制度疲労を、自ら正せない場合・・・ 経済破綻しましたら・・・ チャンプルーされて・・・
たぶんハワイに次ぐ、アメリカ51番目の州になりそうな予感!

万一、たとえそうなったとしても・・・

沖縄のように、自らの
文化と誇りと個性を、大切にして欲しい!




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