■■ 三段峡たたらツーリズム宣言 〜 流れに道びかれ  ■■

太田川 もののけツーリズム 先発隊

太田川源流には「たたら製鉄」の歴史が眠っており、
宮崎アニメ「もののけ姫」のワンシーンを彷彿とさせる景観が見え隠れてしている・・・

そんな物語を探しながらの、小さな旅が始まる。


2011年6月4日(土)実施  隊長 谷口康雄

■ 1日周遊プラン

1 吉水園

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2 鍛冶屋館・街ぐるみ博物館

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3 歴史民俗資料館・水の文化館

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4 奥滝山峡・青松たたら遺跡

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5 深入山

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6 三段峡・水梨たたら遺跡

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7 聖湖・フィールドワークショップ

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8 神楽競演大会
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■ 以下、アドバイザーからのコメント集 物語の参考にどうぞ
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1 吉水園


□ 吉水園の歴史・たたらの水運

□ 加計康晴 (加計隅屋・日新林業)
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2 鍛冶屋館・街ぐるみ博物館



□ 鍛冶屋館と加計商店街のこれから

 「古くなったものをしまい込むのではなく、飾ってその価値を見出そう」・・・
 そんな発想から生まれたのが、加計の商店街で展開されている街ぐるみ博物館。

 街並み全体を博物館に見立て、訪れる人たちに懐かしさを感じてもらえるような空間をめざして、
 地域の人たちが様々な工夫をこらしてきた。

 なかでも「鍛冶屋館」は、加計本通り商店街の西端近くにあり、
 鍛冶屋の道具や秘伝書、それに鍬(クワ)や鉈(ナタ)、こびきなど、
 昔ながらの農機具や鉄を使った日用品などが数多く展示された小さな資料館となっている。

 鍛冶屋館のすぐ隣には、今では県内でもほとんど見られなくなった昔懐かしい「村の鍛冶屋」さん、
 河野鉄工所がある。

 鍛冶屋館の展示品のほとんどは、ここで作られたもので、
 火力の強い地元産の松炭を使い、トンテンカンと鉄を打ちながら、
 地域の風土に合った鎌、鍬などの農機具を中心に製作されてきた。

 例えば、平地が多い山県郡東部のマタグワの刃の角度は60度なのに対し、
 傾斜地の多い西部の加計という土地柄その角度は45度に作られ、
 カマも同様に土地の状況や用途によって柄の長さや刃の形、幅、長さ、角度を変えるなど、
 多くの人がその使いやすさに驚く農機具を見事に作り出してきた。

 ところが、河野鉄工所では高齢と後継者不足から今年3月に廃業を決意。

 この「村の鍛冶屋」廃業のニュースはたちまち町中を駆け巡り、
 町や商工会等の関係者にとっても、単なる一事業所の廃業では済まされない、
 大きなショックを伴って受けとめられた。

 街ぐるみ博物館の象徴ともいえる「鍛冶屋館」も、この河野鉄工所があればこそ活きる施設であり、
 なくなればその存在価値を半減させてしまうという危機感から、今、建物の存続や後継者育成について、
 関係者により真剣な議論が重ねられている。

 是非、素晴らしいニュースを耳にしたい。

□ 栗栖一正 (安芸太田町役場地域づくり課)
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3 歴史民俗資料館・水の文化館



□ 歴史民俗資料館・水の文化館に寄せて


 たたら製鉄は、古代から現代すなわち1940年代まで続き、
 現在、島根県奥出雲町横田で日本美術刀剣保存協会(略して日刀保)の委託で1〜2月の厳冬期間、
 日立金属(株)の支援により人間国宝である木原明村下のもとで刀原料である鉄の生産がおこなわれている。

 これはいまも生きた産業遺産といえる。

 ところで広島県安芸太田町では、近世期よりたたら製鉄業が盛んにおこなわれ、地域経済を支えてきた。
 その痕跡が高殿(たかとの)や大鍛冶場(おおかじば)などの製鉄遺構や鉄滓(かなくそともいう)という遺物が
 町内各地にいまもあちこちにみられ、それらは考古産業遺産として高く評価されてきている。

 なかでも安芸太田町の加計には加計家が代々保存している重要文化財ともいえる「鉄山絵巻」がある。

 その絵巻物は江戸時代後期に描かれ、たたら製鉄の生産工程が大量に消費する木炭の生産をふくめ、
 高殿の炉における生産過程や大鍛冶場での精錬工程が描かれている。

 ただ絵巻には原料の砂鉄採取の場面は描かれていない。
 それは隣の島根県邑南町(旧瑞穂町・石見町)から山道を経て運ばれてきたからである。
 宮崎駿の映画「もののけ姫」には苦労して砂鉄を牛の背で運ぶ様子があらわされている。

 砂鉄を精選して採取するとき、その作業を鉄穴流し(かんなながし)という。
 そのとき大量の土砂が流され谷間に堆積したり、川底にたまったりする。

 谷間に堆積した豊かな土砂が良質の「隠れ田」を形成し、
 稲など農作物が豊富に栽培され、農民の生活を潤してくれる。

 だからたたら場の近くにできるデルタの堆積は、地域の人々にもたらした「宝物」である。

 たたら製鉄業は、経営者にとってかけがえのない収益をもたらすが、
 地域の農民にとっては副業をあたえる貧しくも厳しい生活を支えるなにものにもかえがたい産業でもあった。

 安芸太田町にはすばらしい自然景観もさりながら、
 価値のあるこうした古い産業遺産を地域にたくさん遺した魅力あふれたところである。


□ 野原建一 (広島県立大学名誉教授)
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□ たたら製鉄の技術

 中国山地のたたら製鉄は大正時代に終わりました。

 しかし、その技術は太田川流域でも受け継がれ、1960年代まで続いていました。
 「川・森・文化・交流センター」があるところには帝国製鉄所がありました。

 センターの位置に炉があり、3階につながる上段の駐車場は木炭、鉄滓置き場でした。
 製炭工場は三段峡の奥にあり、500人前後が働いていて学校もありました。

 さらに帝国製鉄加計工場の前身は北広島町大暮の山県製鉄所でした。
 ここには今も赤レンガの煙突が残っています。

 このように、たたらの技術は50年前まで息づいていたのです。

 いま、その技術は安来市の日立金属安来工場が受け継いでいます。
 「安来鋼」は世界の特殊鋼として先端技術を担っているのです。

 たたら技術は現代につながっているのです。

□ 島津邦弘 (元中国新聞記者)
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4 奥滝山峡・青松たたら遺跡


□ 鉄の道


 (鉄の道を彷彿とさせるダートな道、渓谷、フイゴ、炉の地下構造について)









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5 深入山


□ 焼山・木炭・牛馬


 (焼山、植林、木炭、牧草、牛馬について)









□ ?
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6 三段峡・水梨たたら遺跡


□ この地にタタラありき 
(森羅万象パンフより引用)

 歴史の落し物というのは、案外見つけやすいところにあるものだ。
 水梨の駐車場で車を止め、草地を数歩行くと鉄屑(かなくそ)の山。歩くとザラザラと音がする。
 誰がこんなところへこんなものを捨てた?いや捨てたのではなく、これこそがかの有名なタタラ製鉄の跡なのだ。

 中国地方では少なくとも3世紀頃から、砂鉄を原料とした製鉄が盛んに行われていたとみられる。
 特にこの地方の砂鉄には不純物が少なく、包丁などの材料として引く手あまただったらしい。

 旧戸河内町に現在も残る製鉄遺跡は、この水梨を含め36カ所。
 一つひとつの場に立ちじっと目を凝らしていると、鉄屑が語りかけるように現れる。
 それを追うと遺跡のだいたいのスケールがわかる。

 製鉄は、まず砂鉄を集め、さらに炭を起こし熱を加え急激に冷やし、最終的にぶ厚い鉄の板を作る。
 その板を商品として大阪などへ運んでいた。

 それぞれの工程ごとに場所と人手が必要で、
 1カ所のタタラに家族を合わせ500人から600人が寝起きしていたという。

 また周辺には良質の炭が絶えずあった。江戸時代をピークに鉄の1大産地になったのもそのため。
 結果、多くの製鉄遺跡が残されたというわけだ。

 山へ分け入ったら、景色もいいが鉄屑も追ってみよう。
 ひょっとするとまだ隠されたタタラの跡を発見できるかもしれない。

□ 佐々木正孝 (郷土史研究)
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7 聖湖・フィールドワークショップ


□ 小だたら操業・ダッチオーブン

 聖湖はダム湖ですが、周辺には石器時代や縄文時代の発掘品が出土しており、
 アイヌ語を彷彿とさせる地名も残っています。

 また江戸期には「たたら製鉄」の一大産地として栄えていたのが夢のようですが、
 美しい湖や湿原に歴史のカケラが静かに眠っているのです。

 今回、出雲歴史村地域振興財団による小だたら操業ワークショップで「たたらの火」が復活・・・
 雄大な時の流れの中で、小さな記念日となりました。

 アウトドアでの五右衛門風呂やダッチオーブンも楽しい・・・
 ツーリズムの形態が変わってゆく時代のなかで新たな価値を探ってゆきたいものですね。

 太田川の水運で発達した中流域の鋳物・・・
 産業機械・造船・車・針など、広島で発展したモノツクリ産業の源流は「たたら製鉄」なのです。

 小さなイベントに隠れた歴史ロマンを体感してみよう。

□ 林 俊一 (太田川アクティブアーチ代表)
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8 神楽競演大会

□伝説の八岐大蛇(やまたのおろち)

 郷土芸能である『神楽』の演目で全国的に一番知られているのが『八岐大蛇』であり、
 古代の中国山地の営みを現代へ伝えるものの一つです。

 八岐大蛇の演目がはじまると
 高天原(たかまがはら)から出雲の国へ舞い降りてきた須佐之男命(すさのおのみこと)へ、
 翁・手名椎(てなづち)が、大蛇の姿・形について語ります。

 『大蛇(おろち)と申すは、身一つにして頭(かしら)が八つ、尾が八つ、伏したる丈は、百丈に余り、
 背には桧や杉が生い茂り、眼を見れば赤がちの如く光輝きて、腹には何時も血あえただれ・・・』

 このセリフを解釈すると

 『頭が八つ、尾が八つ』は、
 七重八重に果てしなく続く中国山地のことで山々には桧や杉が生い茂る様子を語り、

 『血あえただれ』は、
 山襞から赤黒い色をした豊かな良質の砂鉄がいつも流れ出ていることを伝えます。

 木炭と砂鉄を三日三晩燃やし続けるタタラの炎が夜空を焦がす状態を、
 『赤がち(ほおずき)の如く光る眼』に見たのです。

 古代の人々は、
 世の中の人と自然の営みすべて『森羅万象』八百万(やおよろず)の神々の営みと信じ、
 大自然の流れに従い『大自然を時に敬い、時に畏れ』たくましく生きたのです。

 山の神・水の神、そして鉄の神、古代の人々の暮らしから創作された物語が、
 伝説の舞となって現代に届けられているのです。

□ 石井誠治 (NPO広島神楽芸術研究所理事)

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