■■ 加計隅屋鉄山絵巻 一般公開  ■■

「たたら製鉄」は、親から子へと伝えられる秘伝の技。

残された資料が少ないなか、
大鍛冶労働者が描いた絵巻が残されています。

2012年 6月2・3日 実施




























 ● 主催 安芸太田たたらツーリズム実行委員会

   絵巻        加計隅屋 加計正弘氏所蔵

   紙芝居       いまくさ鉄平 まち物語製作委員会 野うさぎ文庫

   実行委員     林 俊一(太田川アクティブアーチ)
              加計康晴(加計隅屋)
              栗栖一正(安芸太田町役場・地域づくり課)
              田島清(安芸太田町観光協会)
              吉田秀政(同上)
              三坂佐和子(野うさぎ文庫)
               木村真一郎(川森文化交流センター)
               佐々木正孝(郷土史研究)
              西藤義邦(同上)
              大江眞(同上)
              秋田和良(鍛冶屋館)
              江川一康(安芸太田教育委員会)

              國本育宏(同上)
              佐々木昭三(同上)

   寄稿文       山崎一郎(山口県公文書館研究員)
              野原建一(広島県立大学名誉教授)
              吉田利江(財団法人鉄の歴史村地域振興事業団学芸員)
               清水正弘(健康ツーリズム推進委員会)
              國本育宏(安芸太田町教育委員会)
              山田安則(奥乃谷窯)
              林 俊一(太田川アクティブアーチ)

   企業展示     大和重工(五右衛門風呂・羽釜・ダッチオーブン)
              萬国製針
              JFE21世紀財団


   資料提供    「加計隅屋鉄山絵巻」パネル 加計隅屋
              「2010産業観光調査レポート」 広島経済同友会
              「中国山地でのたたら製鉄」 島根県・鉄の歴史村地域振興事業団
              「ゆったり鉄の散歩道」マップ 島根県・鉄の道文化圏推進協議会
              「鉄の径」パンフ 岡山県・備中地域広域観光振興協議会
              「備中」パンフ 岡山県・備中県民局
              「大人の社会派ツアー」パンフ 山口県・宇部・美祢・山陽小野田産業観光推進協議会
              「伯耆たたら通信」
 鳥取県日野町・伯耆国たたら顕彰会
              「たたの里奥日野相関絵図・パンフ」 同上
              「銘刀になった鉄之進物語DVD」 同上
              「越後三条鍛冶集団」 新潟県・三条鍛冶道場
              「三条まちなか歴史文化マップ」 新潟県・さんじょう歴史文化継承塾
              「2010堺工たたら報告書」 大阪府・府立堺工専
              「鉄の歴史村フォーラム2009」 VOL・1 VOL・2

              「和鋼風土記」 日本鉄鋼協会
              「2011育成たたら画像」新日鉄八幡・北九州イノベーションギャラリー
              「GLOBE」 マツダ
              「たたら日本古来の製鉄DVD」 JFE21世紀財団


   後援  広島県教育委員会 安芸太田町 安芸太田町教育委員会
        中国新聞社 NHK広島放送局 中国放送 広島テレビ 広島ホームテレビ テレビ新広島

   協賛  大和重工 萬国製針 日新林業 他

   企画  太田川アクティブアーチ

         広島県山県郡安芸太田町加計337-1 風炎窯内

         TEL・FAX 0826−22−2273   MAIL info@fuuen.com



□ 野原建一 (広島県立大学名誉教授)

 たたら製鉄業は「和式」製鉄業なのか

 たたら製鉄業はその生産技術からして、西洋の溶鉱炉にもとづく製鉄技術とは異なる。
 原料の砂鉄(iron sand)や還元剤の木炭(charcoal)こそ17〜18世紀までのフランス、イギリスと同じであれ、
 西洋の溶鉱炉のように製鉄の連続操業はできない。

 日本は3日3晩、4日4晩操業する炉を築造しては取り壊す(これを一代=ひとよという)。
 そのため、たたら製鉄業は溶鉱炉と異なり、1回の操業で生産できる製鉄の量は、
 品質はともかく、約1〜2トンほどである。

 これが安価で大量生産できる西洋の製鉄業に、明治の開国期に鉄製品輸入で壊滅的打撃を受け、
 たたら製鉄業が衰退していった技術的理由のひとつであった。

 もっとも生産技術から銑鉄の生産量が制約されているため、
 幕末期からそれを精錬する技術が銃砲などの兵器に偏った反射炉しか築造できなかっただけでなく、
 錬鉄や鋼を連続して生産する精錬技術が遅れ、
 日本では明治期末の20世紀までまたねばならなかったのは惜しまれる。

 日本では鉄を生産する技術はたたら製鉄業により早くからビジネスとして成長してきたが、
 精錬する技術は主として大鍛冶や小鍛冶に担われ、その量が西洋に比べ少なかったのである。

 そのため日本では近代重工業の大量ニーズにこたえられず、鉄製品を西洋に依存する形となり、
 独自の国産体制を整えることはできなかった。その体制が整えられるのは、20世紀にはじまってからといえる。

 しかし、たたら製鉄業の生産量や価格は西洋に劣るものの、その品質は優れ、
 兵器だけでなくさまざまな産業の原料として役立てられていった。

 それは「和式」と呼ぶにふさわしい日本独特の技術を確立していた。
 その意味でたたら製鉄業を西洋に比して「和式」製鉄業というのは正しい。

 このたたら製鉄業のおかげで日本の産業は、農具や大工道具、刃物などの技術発達等により、
 近代化が他のアジア諸国に比べ、西洋に大きく遅れることなく発達していくことになる。

□ 吉田利江 (公財・鉄の歴史村地域振興事業団和鋼開発係 主任研究員

 加計隅屋鉄山絵巻の魅力

 隅屋鉄山絵巻が公開される。 このニュースに驚きつつ、私は興奮した思いに包まれている。

 3年前、私の勤務する事業団では、
 鉄の歴史村フォーラム2009で中国山地のたたら製鉄をテーマに講演会を開催し、
 山口県文書館の山口一郎先生に安芸地域の事例についてお話しいただいた。
 その時に隅屋鉄山絵巻と出会った。

 産業としてたたら製鉄が行われていた時の様子を忠実に表した唯一無二の逸品である。

 文書としては伯耆の鉄山経営者下原重仲が著した「鉄山必用記事」が存在するが、
 万人が目で見た瞬間に鉄山の仕事を理解できる絵として、たたらが遺された意義は極めて大きい。

 デジカメも携帯もない時代に、鉄山の一瞬一瞬を見事に切り取っている。

 この絵巻が史実に基づいて書かれているいわゆる正確さを表す例えとしてよく引き合いに出されるのが、
 大鍛冶場の場面である。このことは3年前に山ア一郎先生に教えていただいた。

 大鍛冶は銑や歩ヒを加熱・鍛打し、脱炭し地鉄をつくる工程で、
 鉄山の中で銑やヒの付加価値を高め、流通させるため不可欠な工程である。

 一般に鍛冶屋というと、鋼材から刃物などをつくることをいうが、
 鉄山の内では、道具を作る鍛冶は小鍛冶と呼んでいて、鍛冶屋は大鍛冶を指していた。

 大鍛冶の作業は大工と呼ばれる職長と4人の向鎚(槌)が行った。
 大工は加熱された鉄塊を火箸で保持し金床に載せ、脱炭・成形する。
 向鎚は一人一人が柄の長い金鎚を持ち、大工の合図のもと、金床の中心をひたすら正確に打つ。
 4人は一つのチームで一糸乱れぬ鎚さばきで、少ない鎚数で一本の包丁鉄・割鉄を仕上げていく。

 鎚角が当たるなどはもってのほかである。(商品価値が下がる) 向鎚に左利きがいると、
 よりスムーズなコンビネーションが可能になり作業性が上がるが、
 隅屋鉄山絵巻ではきちんと左利きの向鎚が描かれている!

 前述した「鉄山必用記事」にも、左利きの向鎚のほうが給料が高いという記述もあるので、
 この絵巻は現場をよく理解した方によって描かれたと言えるし、
 一流の職人を揃えていた加計家の経営力が伺えるのではないか。

 現場の作業と、それに従事する職人たちの作業や肉体までも正確に描かれていることから、
 一般の人は目にすることができなかった作業場の臨場感や緊張感、躍動感を絵巻は語っている。

 私はこの正確さこそ、隅屋鉄山絵巻の最大の魅力と感じている。

 私自身、主要な部分以外は絵巻をモノクロでしか見たことがないので、
 今後、安芸太田町および広島県、日本製鉄史の貴重な財産として活用し、
 公開していく道筋ができることを切に願っている。

□ 佐々木正孝 (郷土史研究)

 加計隅屋鉄山絵巻

 たたら操業のようす(上)

 「一に土、二に風、三に村下」。この言葉は、たたら(
鑪)の操業において大切なことを言い表している。
 まず、炉の材料となる釜土が一番で、続いて鞴、村下(むらげ)の技術と言っているのである。
 土(炉)は、砂鉄に含まれるリンや硫黄などの不純物を取り除く役割を果たしている。

 また鞴は、炉内の温度を1500度前後に保つために風を送り続ける。

 絵巻中においては、
 炉の両側にそれぞれ2人の内番子によって踏み続けられる大型の天秤鞴が据え付けられており、
 この作業は四昼夜続き、最も重労働であるといわれた。

 村下は、土の選定、築炉、操業に際しては炉内の変化に応じた砂鉄の量や炭の量など、
 たたら操業に関する一切の指揮を執っていた。
 絵巻中では、シャベルのようなもの(大フリヌキ)で炉に小鉄(砂鉄)を投じようとしているのが村下である。

 大鍛冶屋のようす(下)

 この地域でのたたら製鉄は、「たたら場」と「鍛冶場」という二つの作業工程にその特色を見ることができる。
 絵巻中には鍛冶場のようすが描かれている。

 炭素分が多いため固くてもろい銑鉄は、まず絵巻中の両端にある二つの作業場(左下場)に運ばれ
 溶融され炭素分が減らされる。

 さらに作業は中二つの作業場(本場)へと移され、少しのケラを加えて再溶融される。

 こうしてできあがったものを、絵巻の中ほど全面で見られるように、熱しては鎚で叩くという作業を何度も繰り返し、
 最後に、大きな塊を小さく分割し、用途に応じて割鉄、包丁鉄、釘地鉄などの製品に成型してゆくのでる。


□ 清水正弘 (健康ツーリズム研究所)

 私たち現代人にとって、「たたら」を考えることとは・・・。


 その炎の揺らぎを仰ぎ見ながら、私は「鉄の道」に思いを馳せていた。

 数年前の年明け早々、奥出雲の船通山山麓は、まだまだ雪深かった。
 ヤマタノオロチ伝説の発祥地ともいえる斐伊川の上流にある、「たたら製法」の現場。
 現代の村下(ムラゲ)・木原さんら技師集団の手によって、炉心から舞い上がる炎・・。

 炎と出逢う日の朝には、安来町の金屋子神社へも参詣してきた。
 ここは、鉄の技法(たたら)を伝えた金屋子神(カナヤゴノカミ)の神話の発祥地である。
 木原さんたち技師集団は、火入れの前には、必ずこの神社へ参拝するという。

 このように、我が国における金属の中で、「鉄」ほど神話や伝説など、
 伝承された物語の素材や舞台となっているものはないだろう。
 それだけ、「鉄」が日本の歴史みならず大陸との交流の歴史に大きな影響を与えたことが想像される。

 鉄器文明は人類が隕鉄を手にした時から始まったといわれている。
 隕鉄とは、星の爆発などで生じたもの。
 大気圏を突入する際にほとんどが消滅するといわれているが、ものの一部が地球に到達し、
 その破片を人類の誰かが偶然手に取り、その効用を発見した。

 諸説あるようだが、紀元前1180年頃トルコ東部のヒッタイト地方にて、人類初の製鉄技法が発明された。
 シルクロードを東へと向かうラクダや馬の鞍に乗せられ、長安の都、韓半島などを経ながら、
 山陰地方の沿岸にその「技法」が伝わってきたのだろう。

 私たちの祖先は、その「技法」を日本の風土の中で昇華させてきた。
 それが「和鋼」の製法である「踏鞴」である。
 海の外から運ばれきた技法を、日本の自然環境と調和させる技術に仕上げた。
 その技術の背景で活躍したのが、中国山地の砂鉄と広葉樹の森だった。

 全国の刀匠たちへ、日本刀の素材である「玉鋼」を供給できるのは、
 「たたら製法」の炎を継承している島根県横田町の工房だけであると聞く。
 美術品としてではなく、日本人の心の佇まいを表象するともいわれる、
 「日本刀」の未来は、「たたら製法」の存続に委ねられている。

 私たちが「たたら」について考える、ということは、少し大げさではあるが、
 私たち日本人の「昨日までの歴史」と「明日からの歴史」、
 この双方を考える視座を養うということかもしれない。
 「たたら」は産業としては衰退したが、歴史上にその時系列の縦軸を刻み続けているのである。


□ 國本育宏 (安芸太田町教育委員会)

 鉄山絵巻展示と鍛冶屋


 この度、加計さんのご理解・ご協力により県重文「紙本著色隅屋鉄山絵巻」公開をさせていただくことになりました。
 町では30年ぶりの公開となります。

 この絵巻には、木炭の生産から鍛冶場までの作業工程、鍛冶場で使われた道具などが、詳しく描かれています。
 歴史的に非常に価値のある文化財を拝見させていただくことに感謝しています。

 また、今回の公開に合わせ、「鍛冶屋」の展示もあります。 私は鍛冶屋と少なからぬ縁があります。
 生まれて高校生まで、鍛冶屋の隣の家に住んでいました。現在の「鍛冶屋館」です。

 物心ついた頃から、朝から夕方遅くまで鳴り響くかっちんこっちんという鍛冶屋の音を聞き、
 作業の様子を目にしていました。
 当時は、初代の河野正一さんとその息子さんの忠行さん、利治さんの親子3人で営んでおられました。

 ふいごで、空気が送り込まれると、炭が一気に勢いをつけて燃え上がる。そこに鉄を入れ、熱していく。
 オレンジ色になった鉄を火から取り出すと、その鉄の塊を大きなはさみで器用にもち、
 回しながら鎚を打ち、形を整えていく。

 たたくと跳ね上がる火花、オレンジ色の鉄が水に投げ込まれるとジュッと音をたて立ちあがる湯気など、
 今でも作業の様子が鮮明に浮かび上がってきます。

 生活用具や農具・建設用具、神楽用刀など、地域産業や文化を支えてきた熟練の技を要する仕事です。

 昨年4月、残念ながら、長年にわたり鍛冶屋を営んでおられた河野忠行さんが、引退されました。
 その後、関係者の皆さまの度重なる協議や町への働きかけなどにより、
 忠行さんの指導のもと市立大学の秋田さんが、後継者として作業にあたられることになりました。
 頼もしい後継者を迎えることができ、たいへん嬉しく思っています。
 末永く「鍛冶屋」の音がまちに響くことを願っています。

 また、今回たたら関係の展示、県名勝「吉水園」公開が併せて行われます。
 たたらで栄えてきた安芸太田町です。

 今回のこの催しを期に、たたら文化が見直されることを期待します。
 そして、町内外の方に見ていただき、
 安芸太田町の文化にふれていただくことを通してまちの活気がよび起されることを願っています。


□ 山田安則 (筑豊・奥乃谷窯)

 筑豊の世界記憶遺産と絵巻


 筑豊の炭鉱労働の様子を描いた山本作兵衛さんの記録画が、
 2011年、日本で始めてユネスコの世界記憶遺産に登録されました。

 
これを機に、地元では産学官民の協働により、
 筑豊の風土や自然とセットで知ってもらう活性化策が活気を帯び始めています。

 選定理由として、

  労働者自身の記録画と日記帳であり、伝聞記録ではないこと
  西ヨーロッパでは200年かかった近代化を、日本では100年余りで体験し、一人で記録し表現していること
  細やかに几帳面に記した正確な記録であること

 当初(2006)、「九州山口近代化産業遺産群」の一環として、
 伊田竪抗櫓・二本煙突(国登録文化財)の世界遺産登録を目指していたところ、
 ユネスコ学術専門家の視察の際、作兵衛さんの記録画に注目が集まったという経緯があります。

 老朽化で解体寸前になっていた作兵衛さんの終の炭住を整理していた折、
 福岡県立大学の森山教授によって日記帳が発見されました。

 もしそのまま解体されていたら宝物は土塊となっていたことでしょう。

 地域の方々が気づかない価値を見出してくれた外のからの助言によって、
 日本初の偉業が成し遂げられたと思います。

 作兵衛さんが「炭鉱の記録画家」「語り部としての炭鉱絵師」として名を成してしたのは65才を過ぎてからで、
 「子や孫に炭鉱の衰退とヤマの生活や人情を伝えたい」という想いが原点であり、
 描き続けたエネルギー源です。

 炭工夫という一番危険な地底からの視座であり、ありのままの生き様を表現された方だと思います。

 炭鉱という負のイメージがつきまとい、楽ではない暮らしにあっても、
 「どっこい私は生きてきたんだ」という、作兵衛さんからのメッセージを大切にしつつ、
 加計隅屋鉄山絵巻を
拝見したいと思います。

 それが、新たな物語を生んでくれるかも知れないからです。



□ 林 俊一 (風炎窯・太田川アクティブアーチ)

 森と鉄と陶器

 陶芸品を分類する際、まず陶器と磁器に分けられるが、たたら製鉄の場合ズクとケラに分けられる。

 日本刀の原料である玉鋼(ケラ)は「たたら製鉄」の神秘として扱われるが、
 鋳物や野鍛冶に使われたズク鉄も土臭い面白さがあり、太田川流域では主にズク鉄が生産されていた。

 下流域に、鋳物、針が生まれ、
 やがて安芸十り(てんり)といわれる多種の鉄製品が作られ、現代の造船・自動車産業に発展した。

 縄文や弥生土器は粘土から作られ、窯を持たない野焼きであり、
 乾燥した器を薪や木葉で覆って焼かれたもので800度程度の素焼焼成。

 のちの須恵器は、土で覆った穴窯によって高温で焼かれたものであり、
 平安期に大陸から伝わったとされ、灰色がかった肌合いで、丈夫で吸水性はなかった。

 以前、岡山県牛窓の山中に点在する須恵器の窯跡を探検したことがありますが、
 燃料として大量の松を消費し、松を求めて窯場が移動し、そこには大量の失敗品が捨てられていた。

 その頃の原始的な穴窯は非効率で大量の燃料を消費したようであり、
 のちに生まれる備前焼の源流となる。


 より大量の燃料を消費したであろう「たたら製鉄」の痕跡を見つめると、
 須恵器と同じようにたたら場を移動しており、森との関係がいかに重要であったかが解る。

 鉄しかり、土器しかり、ガラスしかり・・・
 自然鉱物や土石を木で燃やすことによって、偶然に誕生したもの。

 環境問題が深刻化する中、森を大切にする時代ですが、
 森林排出権は、二酸化炭素と酸素、排出と消費のバランス、お金を使った数字合わせ。

 モノツクリの源流として「森と鉄」との関係を見つめれば、
 時空を越えて現代につながる「物語」として、新たな発見がありそうです。

 三段峡の土中に眠るカナクソに、そんな活躍を期待しています。

PS

 風炎窯の近くの弥生後期の遅越遺跡では、土器や鉄器の副葬品が出土しており、
 聖湖あたりでは石器時代の出土もある。







振り向けば、そこには清流があり、モノツクリの歴史がある。 見つめれば、人の暮らしの源流と重なる。



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