葡萄畑 〜 原爆投下から6日間の物語 【調整中】 | |
体験者&語り部 吉岡清美 作画 ? (依頼中) | |
6日、吉岡家 | 小さな家、家族 |
1 NA)【葡萄畑〜原爆投下から6日間の物語】 ここは、広島駅の南東側にある、段原日の出町という下町。 吉岡家は、小さな家で、貧しくて、兄弟が多て、騒がしい家庭。 お父さんと長男は、戦地に出向き、 19才の清美が、一家の大黒柱的な存在です。 母は、生まれたばかりの乳飲子の世話で忙しく、 妹の末子は14才、他にも4名の兄弟が一緒に暮らしていました。 物語は、広島に原爆が投下されようとしていた、 昭和20年8月6日の朝6時半から、始まります。 |
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起床 | 雑魚寝、布団 |
2 母)「みんな早く起きて、学校行くものは行かんか。今日は天気がええよ。」 「こら!末子、早く起きんか。」 末子)「母ちゃん、今日は頭が痛いし、 学校の勉強は無いし、勤労奉仕だけだから、学校休ませてよ。」 母)「兵隊さんのこと思うたら、頭が痛いくらいの事で、学校休んだらアカン!」 「早くいかんとアカン!!」 末子)「清美姉ちゃん・・・」 |
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朝 | 親子喧嘩 |
3 清美)「末ちゃん。 頭が痛いときは学校行かんでエエで。 姉ちゃんはそう思う。」 「こんな危ないご時世なのに・・・ しんどい時は行かんでエエさ。」 母)「あんたらがそんな不埒(ふらち)こと考えている間にも、兵隊さんはドロ水すすって、 死ぬか生きるかの戦争をしてるのに、そんな横着な事を言ったらアカン!」 NA)叱られた末子は、泣きながら、学校へ行く支度を始めました。 姉の清美は末子を見送り、仕事時間には30分早いけど、 朝から親子喧嘩をしたこともあり、面白くないので、早めに家を出ました。 |
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広島駅〜職場 | 汽笛、駅のラッシュ |
4 汽笛)ピ〜〜〜〜 NA)途中で通り抜ける、広島駅周辺は、 いつものように通勤のラッシュでざわめいていました。 清美の職場は、二葉の里という所の、二葉山の中腹にあり、 広島駅や、陸軍の東練兵場が、良く見渡せる高台にありました。 陸軍の出先に、建設資材を配給するのが主な仕事で、 清美は、事務所の掃除、ダイナマイトの管理、帳簿の整理、雑業をしていました。 |
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大きなヤカン | 山道、休憩、窓 |
5 NA)毎朝、現場の作業員が飲む水を、 大きなヤカンに汲んでおくのが、仕事前の日課でした。 水汲み場までの山道は、19才の女性には、きつい労働でした。 清美)「ふう〜 今日は30分も早く家を出たので、まだ時間があるわ。チョット休もう。」 「綺麗な日本晴れだわ〜 こりゃ、今日も暑くなるわ〜」 NA)清美は、事務所の窓を開けて、朝の爽やかな風景を、しばらく眺めました。 |
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東練兵場 | 見晴らし、騎馬、B29 |
6 音)ヒヒン〜 ブルブル・・・ NA)東練兵場では、騎兵隊(150)が朝の訓練の真っ最中で、 兵士の掛け声、馬の鳴き声、ヒズメの音が響いていました。 本部に停車していた11両編成の列車には、たくさんの兵隊が乗っていました。 音)ぶ〜〜ン ぶ〜〜ン 清美)「あれ? Bが飛んどるわ。空襲警報が鳴らないなあ〜」 不思議に思いながら、窓を閉めたところ、何かがピカっと光った。 |
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ピカドン | 机、虹色 |
7 音)どす〜〜ん・・・ NA)腸(はらわた)をえぐるような重たい爆音がしたので、 清美は、慌てて机の下に潜り込んだ。 しばらくしたら音が無くなり、静かになった。 清美)「私は死んだんかしら? けったいな爆弾受けて死んだんかしら?」 NA)清美が、そ〜っと薄目を開けてみたところ、雲のような塵のような、 それは美しい七色の虹のような世界が広がっており、 天国を見たかのような錯覚に包まれた。 清美)「ああ、私はやっぱり死んだんわ。」 |
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避難 | かすかな風景 |
8 NA)清美はもう一度目を閉じました。 3秒なのか1分なのか良く解からない時間が過ぎ、再び薄目を開けました。 清美)「あ〜 かすかに建物が見える。 かすかに山が見える。 は〜生きている。」 「早く、裏山の防空壕に逃げよう。」 「あっ、大事なモノを忘れてた。」 NA)清美は一旦、裏山の防空壕に非難したものの、 大切な、軍のトンネル工事の図面を忘れたことに気がつき、スグ事務所に戻りました。 そして、先程と同じ窓から、外の風景を眺めました。 |
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消滅 | 静か、黒い兵馬、鳥居? |
9 NA)そこは、急に視界が開けて、全ての時間が止まっていました。 全く音が聞こえません。 先程の、馬も兵隊も真っ黒焦げで、立ったまんま、 人影も、何も、全く動かないという光景が広がっていました。 ところが・・・ |
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爆風 | 列車、キノコ雲 |
10 NA)今度は、爆風が渦巻きながら、舞い戻って来たのです。 練兵場に停車していた11両の列車が空中に舞い上がり、 10mほど浮かんで、地面に叩きつけられ、木端微塵に砕け散った。 やがて、その爆風がキノコ雲となって沸き上がっていったのです。 清美は、目の前に広がる光景に、しばらく放心状態になりました。 どれくらいの時間がたったのでしょう? やがて、後ろから追われるような感じで、人のうめき声が聞こえてきました。 |
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群集 | 黒い幽霊のよう |
11 NA)数千人とも思える、黒くて、まっ裸の群集が、 広島の街中から、清美がいる二葉の里に向かって、歩いてくるのが見えてきました。 「痛いよ。水をください。助けてください。お父さん。お母さん」と言ってるように感じたが、 人数が多いし、声がボソボソ小さいので、聞き取れなかった。 皮膚が垂れて雑巾のようにぶら下がり、頭は焼けて丸坊主、 着物も無くてスッポンポン、男か女かも解からず、寄り添うように押し寄せてきました。 幸いに清美は元気でしたが、その中に、声をかけてくる人がいた。 |
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再会 | 同級生、トンネル図面(仕事) |
12 被爆者)「清美ちゃん、あんたここにいたら殺される。私と一緒に早く逃げよう。」 「二葉の山を越えて、遠回りにぐるっと回って、府中の方に逃げよう。」 清美)「私は、伝令があって図面の引渡しの仕事があるから行かれんのよ。」 被爆者)「早く。 行こうに。 行こうに。」 清美)「ところであんた誰や。」 被爆者)「まあ〜 うちが誰か解からん? 解からんようになっとる? うち。」 「フチダよ。 解からん? うち、どうなっとる?」 NA)近所の同級生でしたが、清美には返す言葉がありませんでした。 |
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救護 | 大きなヤカン |
13 NA)東練兵場は、爆心地から逃げてくる人たちの避難所になり、 ここで死ぬ人もたくさんいました。 清美)「待ってね。待ってね。少しで御免ね。」 NA)清美は職場の大きなヤカンを持ち出し、 何回も水汲み場を往復しては、ケガ人に水を分け与え続けました。 やがて、日が暮れかかる頃になると、 広島駅周辺は、大きな火の海になろうとしていました。 |
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火の海 | 夜景 |
14 NA)実家に帰ることは出来そうもないと思った清美は、 職場近くの山の中で、一夜を過ごすことにしました。 NA)炎に包まれ、生き地獄のような広島の夜景を、 不思議な感覚で、一晩中寝ないで、眺め続けました。 夜が明け始めると、火事も落ち着いてきたので、 清美は、広島駅の裏道を通って実家に帰ることにしました。 |
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7日、帰宅 | 貼紙 「比治山小学校に来るように。」 |
15 帰ってみると、爆風で家は潰れて、誰もいませんでしたが、 一枚の貼紙がありました。 比治山小学校が、この地域の避難先と決められていたので、 そちらに向かいました。 |
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避難所(野外) | 再開、末子が居ない |
16 清美)「みんなおる? だれもケガしとらん? 欠けたものはおらん?」 NA)親兄弟たちにケガはありましたが、幸いにも軽症でした。 ですが・・・ 母)「末子がまだ帰ってこん・・・」 清美)「何でや!」 NA)「だから学校を休ませろと言ったじゃろ。」と、言いたかった清美ですが、 乳飲子を抱えた母を見ていると何も言えませんでした。 前日から、何も食べてない、寝てない清美でしたが、 比治山橋の近くの、末子の勤労奉仕先に、捜索に向かいました。 |
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捜索 | 並ぶ遺体、浮かぶ遺体 |
17 NA)道に倒れている人を、1人1人確認しましたが、末子の姿は無く、 京橋川は、飛び込んだ人の死体が重なり、満潮時でも水が見えないほどでした。 兵隊さんが、ツルハシやロープを使って引き上げ、 何百人もの死体を土手に並べていました。 そこを2往復したけど、そこにも末子の姿はありませんでした。 吹き飛ばされて、もう無くなったんかと思ったところに、 軍隊の救助トラックと出くわしました。 |
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発見 | 巡回トラック |
18 兵隊)「この地区で、ケガしとるもんはおらんか? おったら、乗せて非難さすで〜」 NA)清美は、もしかしてと思い大声で叫んだ! 清美)「このトラックの中に吉岡末子はいませんか?」 NA)返事ともウメキとも解からない声が聞こえてきて、 荷台を見ると、妹の末子が大ケガをしていました。 |
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変わり果てた様相 | 火傷 |
19 清美)「わ〜〜」 「どしたん、末ちゃん」 末子)「熱かったから、水槽の中に入ったんよね。」 NA)顔は、半分めくれ上がり、赤身が見え、血が流れ、目は飛び出して、 口はザクロのように腫上り、片半身は、水に浸かっていたので膨れあがっていました。 |
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叱られる清美 | トラック |
20 清美)「兵隊さん、このトラック何処まで行くの?」 「この子の身内じゃから、私も一緒に乗せてってよ。」 兵隊)「何を言うとるんじゃ。1人でも多くのケガ人を運ばにゃならんで。」 「あんたは元気なんじゃから歩いていきんさい。」 NA)行く先は、呉の先の阿賀小学校の講堂ということなので、 清美は、一旦、家族のいる避難所に戻りました。 |
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一旦、帰宅 | 粗末な弁当 |
21 清美)「母ちゃん、末子は生きとったで。 大ケガして、阿賀に運ばれたで。」 「今からスグ行くわ。」 母)「ほんなら、あれに弁当持ってってやれや。」 NA)清美は、かぼちゃだけの弁当箱を2個持ち、30kmも歩き続け、 避難所に到着したのは午後3時頃でした。 |
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避難所で探す | グチャグチャ |
22 NA)畳2枚のスペースに、3名くらいのケガ人を詰込んだ状態で並べてありました。 医者もおらず、薬もなく、 生きているというだけで、遺体安置所のような光景でした。 そこから末子を探すのが一苦労・・・ やっとの思いで探し出しました。 清美)「末ちゃん、かぼちゃ食べるか? 母ちゃんが持たせてくれたで。」 |
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発見 | 家に帰りたがる末子 |
23 末子)「いらん。 姉ちゃん。 欲しゅうない。」 「姉ちゃん連れて帰って。」 清美)「家は壊れたよ。 皆は比治山小学校に避難している。」 末子)「姉ちゃん連れて帰って。 連れて帰って。」 清美)「ちょっと待っとり。」 NA)連れて帰ってやりたいのはやまやまですが、大ケガした末子を、背負う力が、 19歳の清美にはありませんでした。 そして近所の、見知らぬ農家を訪ね回りました。 |
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リヤカー | 麦わら、ガタガタ道 |
24 清美)「おじさん。妹の容態が芳しくなく、家に連れて帰りたいので、リヤカー貸して。」 「可愛そうにな。」 「ケガ人を直接に載せたら、ガタガタ道は辛いぞ。」 NA)農家のオジサンは、見かねて、 近くにあった麦わらで深々としたクッションを作ってくれました。 清美は、リヤカーに末子を乗せて、ボテボテと30kmの道を戻り、 家族が避難している比治山小学校にたどり着きました。 その頃にはもう、すっかり夜になっていました。 |
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8日、水 | 水を欲しがる末子 |
25 NA)末子は、家族の皆と、顔合わせすることができましたが、 弟たちは恐れて、近づきませんでした。 末子)「姉ちゃん、水飲みたいよ。」 NA)原爆直後に、水を飲んで死んだ人が多かったため、 水を飲むと死ぬという噂が、ちまたに広がっていました。 家族はなるべく飲ませないようにしていましたし、 第一、野外の避難所に水道はありませんでした。 清美は考えあぐねて、ブドウを盗む事を思いつきました。 |
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ぶどうを盗もうとする清美 | 見張、ハイハイ |
26 NA)ブドウ畑は、近くの川土手にありました。 月夜が明るく、見張りをするオジサンもいて、立って歩くと見つかるので、 清美は、そっとハイハイして、畑の奥深くに侵入しました。 1房取ると、ブドウ棚が揺れて見つかると思った清美は、 片手で持てるほどの7粒のブドウを盗みました。 帰りは、胸でブドウを支えるようにして、ハイハイして戻りました。 |
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7粒のぶどう | 最後の言葉 |
27 清美)「末ちゃん。こんなご時世だから水はないけど、ブドウ持ってきてやったで。」 「ブドウ食べるか?」 「うん」 NA)あのザクロのような口の中に、ブドウの汁を入れるのに、清美は泣かされました。 口に沁みる痛さもあろうし、喉も渇いているだろうし・・・ 末子は、3〜4粒のブドウを口にしました。 末子)「あ〜姉ちゃん。 美味しかった。 有難う。」 NA)それが末子の最後の言葉となりました。 |
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9日、棺桶作り | 粗末 |
28 NA)当時、自分の家族が死んだら、家族で焼却するのが普通で、 今のような、葬儀場はありません。 崩れた家の廃材を集めて、弟たちと作った粗末な棺桶に、 末子を押し込み、借りたリヤカーに乗せて運びました。 焼却するには、川土手に指定の場所があり、清美は1人で穴を掘り始めました。 |
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穴掘り | 指導するオジサン |
29 NA)19才の清美ひとりで、手に負える仕事ではありませんでしたが、 たまたま、焼却作業をしていたオジサン二人が助けてくれました。 オジ)「ねえちゃん。一人で、そんな穴掘って、綺麗に焼けんがね。」 「教えたるけえ見ときんさい。」 NA)清美は、教えてもらった通りに、棺の大きさに穴を堀り、 さらに深い溝を掘り、その中に焚き付けを入れました。 さらに、枕木を渡して、棺を載せて、周りに櫓(やぐら)を組んで、火を点けました。 炎が昇ったら、濡れたムシロを掛けるように、教えてもらいました。 |
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ムシロ濡らし | 炎から転げた黒い頭蓋骨 |
30 オジ)「ボケっとしとったらアカンぞ! ムシロが乾いたら、また川で濡らしてこいや!」 NA)炎の上から、濡れムシロを被せた瞬間、 真っ黒になった末子の頭蓋骨が転げて、川土手に落ちました。 清美は、棒でツツイテ元に戻し、どうにか綺麗に焼却しましたが、 普通の神経では怖くて出来ないことです。 当時の状況は、気持ちが追われて、 人に負けないようにしなくてはという、その一念だけで動いていました。 近くには、葡萄畑が広がっていました。 NA)清美が、避難所に帰ってきたのは、真夜中の3時頃でした。 |
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10日、眠り | 遺骨を抱いて眠る |
31 清美)「母ちゃん、寝てないのでチョット寝かせてよ。」 母)「大変じゃったね。休んだらええよ。」 NA)清美が寝ていたところ、 頭がチカチカ痛くなり始め、耳元で雨の雫の落ちる音がしてきました。 清美)「母ちゃん、雨降っとるの?」 母)「何言うとるの? こんなええ天気だのに。」 清美)「頭が痛くてしょうがないよ。」 母)「どれ、見せてみ。」 |
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ウジ | 頭の傷 |
32 NA)見たらウジが3cmくらいの幅でうごめいていました。 実は、ピカドンが光った時に、机の下に隠れた清美ですが、 頭の一部が放射能を浴びており、皮膚がタダレ始めていました。 人の事ばかりで、自分の体の異変に、4日間も気づかなかったのです。 母)「これはいかんわ〜」 清美)「いたた。いたた。」 NA)箸を削った楊枝で、ウジを一匹づつ取るのに、しばらくかかりました。 取っても取っても、しつこく沸いてきたのです。 |
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11日、片付け開始 | 粗末な小屋 |
33 NA)翌日から、壊れた吉岡家の片付けが始まりした。 幸い、火事にはなっていませんでしたので、 避難先とを、行ったりきたりしながらの作業です。 すべての人が、自分のことで精一杯の状況でしたので、 人の助けを待っても仕方ありません。 清美と母が協力し、散乱した家財を集め、木材を拾い、 もとの台所があった場所に、8畳くらいの粗末なホッタテ小屋を建てました。 |
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母の後姿 | 粗末な仏壇、空き箱 |
34 3日間くらいの作業でした。 清美)私は今でも忘れることができません。 粗末な仏壇を作って、手を合わせ祈る母の後姿が、大きく波打って、震えていました。 原爆が落ちた日の朝、 末子を、無理やり学校に行かせた自分を、責めていたと思います。 |
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メッセージ | 現在の清美の素顔 |
35 清美)私は、戦後70年を迎える今年、91才になります。 私はあれから、髪の毛が全て抜け落ち、 また、夜7時15分になると、歯茎から血が噴き出る症状が、10年続きました。 ですが、どうにか回復して、この歳まで、有難いことに生きています。 私が、皆さんの前で、話ができることは、 被爆した人たちや、妹の末子に、良い供養をさせてもらってるのだと、 喜んでおります。 世界では、きな臭い話が聞こえますが、 どうぞ、今の平和を維持してゆくがために、目上の人を敬い、目下の人を慈しみ、 個人個人の小さな平和が、先の長い大きな平和に繋がりますことを、 陰ながら祈っております。 おわり |
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PS 広島の下町で暴れん坊で有名だった、プロ野球選手の張本勲さんが、 幼少期に、吉岡家の近くに住んでいました。 当時5歳の張本勲さんが良く遊びに来ていたそうですが、 彼の姉も9才で死亡し、同じ日に、末子の近くで焼却されたそうです。 TVでの回想録で話していました。 |