【 木炭車の時代背景 】

第一次世界大戦〜第二次世界大戦、世界の石油供給が悪化していた。

代替燃料として、木炭の不完全燃焼ガスを利用する装置が、各国で考案された。

しかし、非力なため、軍用に使われるのは稀だった。

日本で実際に使われた国産車両として、日産やトヨタのトラックやバスが残されている。

用途は、木材、木炭の運搬や旅客など。

帝国製鉄加計工場(木炭銑)では「カナクソ」の運搬にも使われていた。





【 マツダの社史 ・ オート3輪を中心に 】


明治8 (1875) 松田重次郎 広島の仁保に生れる 13歳から関西の鍛冶屋に住込み修行 のち 軍需産業に従事
            大阪にて独立(家族経営) のち 「松田式ポンプ」で軌道に乗るも、乗っ取られる

大正1 (1912) 再建したのち 第一次世界大戦の特需で、銃弾の大量受注(ロシア政府)
            松田製作所(株)設立 梅田駅近くに5000坪 雇用4000人 のち 日本兵器製造(株)

大正6 (1917) 郷里に松田製作所(株)設立 のち 日本製鋼の傘下

大正9 (1920) 広島の財界による東洋コルク工業(株)の設立
            翌年 松田重次郎社長就任 のち コルクの海外からの輸入増により低迷

昭和2 (1927) 東洋工業(株)の設立 各地の海軍工廠の下請け
昭和5 (1930) 3輪トラック500ccの試作 府中に新工場を着手
            のち 生産体制の確立 マツダ号が完成 三菱との販売提携

昭和11(1936) 直売制に移行  キャラバン&航空ショーによる広報
昭和13(1938) 国家総動員法 石油消費規制  のち 木炭やアセチレンガス発生装置の開発
昭和16(1941) 第二次世界大戦下 商工省の指導により、3輪トラックの開発に遅れ
昭和18(1943) 戦時標準型を試作するも 終戦まで生産停止


昭和20(1945) 原爆投下 民需転換(GHQ) 10台完成
昭和27(1952) CTL(1200cc) 他
昭和37(1962) T2000 のち 10年以上生産

  第一次世界大戦(1914〜1918)
  日中戦争(1937〜1941)
  第二次世界大戦(1941〜1945)


【 木炭車の館 ・ マツダT2000 】

実際の国産木炭車は、昭和20年代初頭まで動いていたと思われる。

この車両は、後世に伝えることを目的に、山口県の藤村一夫氏が、システムを改良しながら復元したもの。

昭和45(1970)の製造車  のち 木炭システム架装  1985cc  積載2t  荷台?尺




クイズ

愛称「バタンコ」の由来?

エアインテークの数?

キャンバストップの意味?

13尺の需要?

【 MAZDAヘリテージPVからの引用 ・ たたらと企業風土の関係 】
MAZDAヘリテージPV  英文  木炭車の館