■はじめに



デルタの街、広島市街を流れる太田川の上流・・・ 川辺の田舎工房で生まれるヘンテコ陶器たち!

簡単な自己紹介だす!






■ご案内

陶芸家のオヤジ店主が運営する手づくり陶器WEBSHOPです!

作陶、雑務、遊び・・・
さらにWebの店番と、忙しい日々を過ごしております風炎オヤジ

自信過剰のヘンテコ作品を、皆様にお届けいたします。

工房風景、製作工程、独り言・・・ 作品に秘められた思い・・・
ブコツで中途半端な陶芸家の、心の機微・・・

ごゆるりと風炎ワールドをお楽しみください。


TOPページのGALLERYからリンクされた作品は、すべて在庫管理されておりますが、
完売・在庫切れ・廃番作品は、STOCKに移動されております。

WebShopでは常識である、キメ細かなサービス、ランキングや、完売表示・・・
サボり気味ですのでご容赦くださいませ!

作品の購入は、当ページのWeb上のほか、
各地の、常設店、デパート、展示会場、イベント、工房ギャラリーです。


TOPページにて、更新情報や新作品を、
随時、お知らせ致しておりますので、またのお越しの際は、ご確認下さい。

☆の数ほどある、ホームページの大海で、貴方と私のめぐり逢い・・・
これをご縁に、御引き立ての程、宜しく御願い申し上げます!

m(_ _)m




■簡単なサイトマップ

はじめに サイトマップ・特徴・自己紹介
展示会 展示会の記録
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独り言(コラム)
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工房風景 各種情報
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箱書 かずら ガラス

■特徴

「魚ぎょギョ」という位で魚をモチーフにした作品が多く、
これは修行時代の沖縄での影響が大きく、特に魚種にこだわっておりませんが、
ヒラメ、ハゼ、こいのぼり、カマスをイメージさせるものが多いです。


主な陶土は、島根県石見地方の赤土と、広島西条の白土。
釉薬は自然灰釉で、赤土と独特のザラついた表面処理と相まって
深い味わいを醸し出しております。

この茶色や、深緑色の風合いは風炎作品の大きな特徴です。

また、マンガンによる黒釉は、グレーの艶消し釉との相性がよく
シンプルで、モノトーンな作品もあります。


初めての、お客様がよく驚かれるのですが、
見た目の渋さ、重厚さに反して手取りは大変軽く、
ハンドルの持ち易さ、注ぎ口の切れ等・・・ 細心の注意を払って作られています。


焼成はしっかりしており、丈夫で水漏れもありません。
しかし、花生けは長時間の場合、表面がしっとりとしますが、
これにより水が呼吸して陶器の肌の風合いが増し、花もちが大変良くなります。


全てが手作りで、土だけにこだわらず、木や金属などを用いることで、
インテリア小物なども手がけ、レパートリーを広げております。


一品物の芸術作品というよりも、クラフト的工房作品を目指しておりますので、
風炎オヤジが死んでも、値段が上がるといった事は、御座いません。

手頃な価格で、多くの皆様に喜んで頂けるよう、努力しております。


日々の作陶で何といっても心がけていることは、
大胆なデザインの中に繊細な心使い・・・ 繊細な中に大胆な切れ味・・・
遊び心と夢があり、作り手の想いが伝わる作品を.・・・ と、願っております。

皆様の暮らしの潤いとなれば幸です。







■はじめまして

風炎オヤジこと、林俊一は
1959年5月6日に、工房のある広島県山県郡加計町にて生まれました。

各地で修行を重ね、風炎窯を開きまして10年以上になりますが、
芸術家のようで、職人のようで、遊び人のようで・・・
美術団体にも属さず、中途半端な陶芸家として、生計を立てております。


皆様に、さり気ない笑み、ささやかな幸福の御手伝い・・・
使命感に燃えて、作陶しております。


■簡単な略歴

今では身長190cm、90kgの巨漢ですが幼少の頃は体の弱いモヤシっこでした。
地元の高校在学中は、学校や社会の矛盾に怒り、
いわゆる不良とは少し変わった真面目なオチコボレでした。


サラリーマンが出来る人間ではない事を悟り、
昔ながらの民芸、徒弟制度、もの作りの仕事に何か感じるものがあり
あちこち工房を見せて頂くうち縁あって、
倉敷みなと窯 沖塩明樹氏のお世話になりました。

工房に住み込みさせて頂き、やきもの修行が始まりました。
師匠、兄弟子にとっては、とんでもない事を、自分の気付かぬまま仕出かしたり
まわりの方々に大変なご迷惑をお掛けしました。
今でも思い出せば、胃の痛くなる思いです。

しかし、田舎の高校をどうにか卒業したばかりの、世間知らずの私にとっては、
大変な勉強をさせて頂きました。

今に思えばあの4年間の日々は一番苦しく、
今では自分の作陶の奥深い部分で、ベースとなるものです。


沖縄ゆきを決めたのは、自分の幼さゆえの、マイナス思考が続く日々から、
脱却する為の決心でした。

知り合いも何も無い、ガイドブックだけが頼りの旅立ちでしたが
3日目の夕方には不思議にも
壷屋焼、陶眞窯 相馬正和氏の工房に、弟子入りをさせて頂けました。

当然それまでの自分の経験など、何の意味も無い覚悟でしたが、
予想以上に上下関係の厳しさを知りました。

しかし雑業ばかりでしたが、
それでも毎日新しい発見があり、それまでの自分の常識が
ひっくりかえるようなカルチャーショックでした。
焼き物の技法、考え方、ひいては
沖縄の気候、風土、歴史など体で感じる喜びでした。

この頃の3年間は、それまで自分なりに築いた積木細工が叩き壊され、
再び積み上げる作業だった気がします。


その後、琉球焼、多幸山窯 久場政一氏のお世話になりました。
観光施設、琉球村は沖縄の文化、芸能、工芸を一堂に集めた所ですが、
一つのセクションとして焼き物がありました。

焼き物の世界しか知らない私にとって会社組織を経験でき、
サラリーマンの悲哀も知りました。

この時の5年間は修行の場としては、とても自由な環境でした。

作品はある程度、自由でしたし、その場で直販していましたので、
大勢のお客様の反応を直ぐに感じる事が出来、
残業で作った作品でグループ展、個展もさせて頂きました。

公募展にも自由に出展させて頂き、
海を渡っての郷里、広島での個展も良い想い出・・・
妻邦子と、こちらで知り合い、長女も沖縄で生まれました。


12年間の修行の後、平成2年、広島にて独立、風炎窯を開窯いたしました。

郷里、広島は特に陶器産地でもなく、焼き物の認識も低い様でしたし、
販路等の不安もありましたが
ポンコツワゴンで展示会という名の行商の旅を、繰り返しながら、
お客様、地域の方々に支えられて、2000年の春で10周年を迎えました。

現在も地道に、活動中で御座います!

m(_ _)m






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